アドラー心理学とは

アドラーphotoアドラーは1920年、世界で初めて児童相談所を開設。当時の非行少年や親子をめぐる問題を、治療と教育を中心に一つの理論を打ち立てました。

それが「アドラー心理学」です。

その理論には「人間の全ての行動には『目的』があり、『相手役』がいる」という、いわば「目的追求型の対人関係の心理学」を提唱した第一人者です。

親と子、夫と妻、教師と生徒、上司と部下、友人関係など現在の悩みの第一は対人関係ではないでしょうか。
また、それら対人関係上の問題に対して、「原因」を追求する従来の心理学が「有効な改善策」を提示しえていないことは、教育現場に起きている不登校、いじめ、暴力、非行、学級崩壊などの荒廃状況を見ても明らかです。

時はまさに「アドラー心理学」の時代ともいえます。

アドラー心理学 こんなところが素敵なんです。

貢献感

私が気に入っているアドラーの考え方はたくさんありますが、まず一つ目は、貢献感が人を勇気づけるということです。

それは、教師時代に多くの生徒が何度も実証してくれました。

特に困った生徒(先生や親の気に入らないことばかりする)や、勉強に強い劣等感を持ち、諦めてしまった生徒が、何かのきっかけで、誰かの役に立つことができたとき、ぱっと顔が輝くことがありました。

私もできるだけ、助けてもらうときは、そんな子にお願いしてきました。私たち大人でも、誰かから本当に助けてほしいと頼まれると、嬉しくなることはよくあります。誰でも、誰かの役に立てるのは、とても嬉しいし、役立てる力が自分にあることが自信に繋がります。やはり貢献感は人を勇気づけるのです。

貢献感で勇気づけをした実際の体験です

当時勤務していた学校の第二学年に「それなりのワル」とレッテルを貼られた子どもが四、五人いました。

担当していた学年が違うので面識はありませんでしたが、同僚の先生に聞くと、問題行動が絶えないグループだとのことでした。授業中勝手にしゃべる、注意を無視して歩き回る、しばしば授業を中断させる、外見からしても、教師やほかの子どもに対する冷ややかな目つきなど、確かにほかの子どもとは違う雰囲気をもっています。よおし、彼らで実践してみよう、貢献感がほんとうに彼らを勇気づけるのか、やってみよう、と思いました。

ちょうど担当していた三年生を卒業させたばかりで授業もありません。時間はあります。偶然ですが材料もありました。公務分掌で担当していた図書室に、壊れかけた本棚があり、修繕して使うか廃棄にするか、私に裁量権がありました。
壊されるのは覚悟のうえで、彼らに修繕を頼んでみよう、と思ったのです。壊れるか、直るか、可能性は五分五分だと思っていました。

ある日の昼休み、図書室に行くと、例の一団が隅に集まっていました。彼らは本を読みに来ているのではありません。集まれる場所が図書室くらいしかないからなのです。図書室の奥で何をするでもなく、ちらちらとこちらを窺っています。彼らを相手に、実践してみることにしました。
「あのさー君たち。ちょっと来てくれる?頼みたいことがあるんだけど」と叫んでみました。彼らにとって私は、なじみのない先生です。できるだけ穏やかに笑顔で話しかけました。彼らは怪訝な顔つきで、どうしようかというように顔を見合わせていましたが、叱られるのではなさそうだとわかると、ゆっくり近づいてきました。
「実は準備室に、壊れかけた本棚があるの。修理したいんだけど手伝ってくれる?」と言って、彼らを準備室に入れました。最初は驚いた様子だった彼らも、背板がなくなって棚だけになった本棚と、貼り付けるつもりのベニヤ板を見せると、だんだん目が輝いてきました。ベニヤ板をサイズに切って、本棚の裏面に張り付け、あとは釘で裏から打ち付けるだけの単純な作業です。
「悪いんだけど、職員室に行って、のこぎりと金槌と釘、借りてきてもらえる?」と言うと、「わかった」と言うが早いか、かけだしていきました。しかしなかなか戻ってきません。すぐ下の階の職員室から持ってくるにしては遅いなと思いながら待っていると、ようやく皆、手に手に道具を持って戻ってきました。ちょうど昼休みは終わりです。
「明日の昼休みから作業したいので、来てくれる?」と言うと、「わかった」と言いながら教室に戻っていきました。職員室に戻ると、ある先生が、「先生、本当にあの子たちに、金槌やのこぎりや釘を持ってきてって頼んだの?とにかくメンバーがメンバーだから、いろんな先生が「だれに頼まれたんだ?何をするんだ?どこへ持っていくんだ?」と聞くものだから、あの子たち、なかなか図書室に戻れなかったのよ」と教えてくれました。確かにあのメンバーがのこぎりや金槌、釘を持っている場所はみようによっては物騒です。
しかし彼らは、職員室であれこれ聞かれたことを少しも気にしている様子はなく、それも驚きでした。

次の日の昼休みから作業が始まりました。サイズに合わせてのこぎりでベニヤ板を切り、棚に釘で固定するさぎょうですが、なんでも力任せです。「のこぎりが1本しかないから」と言って、はさみでベニヤ板を切ろうとします。「釘は三センチ間隔でいいよ」と言っても、釘を打つことが楽しくてたまらないらしく、ほぼ一直線にびっしりと釘が打たれました。

毎日10分くらいの作業ですから、少しずつしか進みません。しかし給食を食べおわると走って来ます。ところがある日の昼休み、だれも来ません。どうしたのかな、飽きてしまったのかな、と思いながら職員室に戻ると、彼らの担任が私に
「先生すみません。今日から宿題をやってこなかった生徒は、昼休みにやることになったのです。あのメンバーは全員宿題をやってこないので、今日は宿題をやっていました。みんな早く終わって図書室に行きたいものだから、必死になっていましたよ」と言うのです。
胸が熱くなりました。最初に彼らを見たときは、問題児と聞いて警戒する気持ちで見ていましたが、いまはまったく違います。一緒に作業をしていると、とにかく自分たちでやりたい、やらせてほしい、気持ちでいっぱいなのです。活躍の場を与えれば、喜んで力を発揮するのです。彼らの貢献感ってやぱりすごいのかもしれない。そう実感しました。

何とか使えそうな本棚が、とうとう完成しました。
「ありがとう」とお礼を言い、本棚を据え付けて作業は終わりました。修繕できるか壊れるか、可能性は半々と思っていただけに、ほんとうに感動しました。
本棚が完成してほどなく、私は転勤することになりました。四月、転任のあいさつのために久しぶりい学校を訪れると、本棚を修繕したメンバーがわざわざ会いにきてくれました。
とてもさわやかな、いい笑顔で、「先生、いなくなるんだね」と言います。「そうなのよ。君たちも三年生なんだから、授業はちゃんと受けなさいよ」と声をかけると、「うん」と照れながら笑いました。

失敗から学ぶ

二つ目は、失敗から学ぶ、ということです。

私も失敗は嫌いですが、もっと嫌いなのは、何もしないであとから後悔することです。

失敗の痛手と、もしかしたら、うまくいってほしいものが手に入ったかもしれない、といつまでも続く後悔。
この二つはしばしば、私が葛藤する問題です。

でも最後は、やってみないで後悔するより、失敗して後悔するほうがまし、と考えるので、本当に多くの失敗をしてきました。思い出すのも辛いし、それらを知っている人に、お願いだから、誰にも喋らないでと、頼んで歩きたいくらいです。

でも自分で決心し、覚悟してチャレンジしたことは、失敗しても後悔はないです。辛いし、悔しいし、めげることはあても、なぜかやめればよかったと後悔はないのです。失敗して初めて見えてくることもあるし、何より失敗したからこそ、今の自分には何が足りないか気づくことができたのです。
アドラー心理学では、失敗を肯定的に捉えます。「失敗はチャレンジの証」「失敗は学習のチャンス」

そう考えると、なによりいいのは、生徒や自分の子どもたちの失敗も、肯定的に見ることができるようになったことです。

クラスで、もめ事が起こると、「水面下にあった問題が表面に出てきただけのこと。みんなに分かるようになってよかった。クラスの問題にして、みんなに考えてもらおう。」と思えるのです。

いろいろな問題が起こったときほど、学ぶチャンスと捉えることで、気が楽になります。

全ては勇気づけのためにある

他にも私が気に入っているところは多すぎて、書ききれません。

「感情の目的を考える」「それは誰の問題か」

「相手の話をどう聴いたらいいか」

「我慢せず、傷つけず、頼む方法、断る方法」

「勇気づける話し方」等々、人によってもどこが気に入ったかは違うでしょう。

これは理解すればできるというものでもなく、今までの慣れたやり方を変えるのですから、時間と意志が必要です。でも全ての目標は「勇気づけ」です。